父の日の思い出をつづるブログです。
みなさんから投稿いただいた父の日にちなんだ思い出話を掲載しています。
PICKUP! 父の日のエピソード
妹と競い合った父の日
毎年、「父の日」が近づくと、子供の頃の姉妹喧嘩を思い出します。
喧嘩といっても、今から思えばほほえましいものでした。
そして、いつも勝つのは妹です。
最初はわたしが勝っているのですが、妹が泣くと、どうしても父は妹優先になってしまうので、わたしが身を引くしかありません(笑)
「父の日」は妹と父のラブラブデーでもありました。
わたしと妹が幼い頃、我が家の「父の日」は、文字通り、「お父さんにサービスしてあげる日」でした。
わたしたちの父は、しょっちゅう単身赴任や、出張があり、なかなかわたしたちと一緒に過ごすことがありませんでした。
そのため、「父の日」を父と一緒に過ごせる確立はなかなか低いものがありましたが、運よく一緒に過ごせる場合、わたしと妹はがぜん張り切ったものです。
朝は、父より早く起きて、新聞と牛乳をテーブルの父の席に置くのです。
わたしと妹の競い合いはそこから始まります。
この時点では、わたしが勝っています。
第一、妹はわたしより早く起きることがありませんから!
起床し、テーブルについた父が
「ありがとう」
と言ってくれるのですが、その言葉を受けることができるのは、新聞と牛乳を席に置くことができた者のみです。
わたしが胸を張ってにっこりすると、妹が早くもやきもちを焼きます。
父が会社から帰ってきたら、肩たたきのサービス大会です。
これも、力的にわたしが優勢です。
妹は
「わたしもやるの」
と言って割って入りますが、すぐに疲れてやめてしまうのです。
その点わたしは頑張っていました。
ここでも、父からの
「ありがとう、楽になったよ」
の言葉を受けるのは、わたしなのです。
わたしは得意満面となり、妹はますますいじけます。
次は夕食の支度です。
父の席に食事の皿を置くのは、母の手伝いをする者です。
わたしはいつも手伝いをしていますが、妹は「父の日」限定で手伝いをしようとします。
わたしにしてみれば邪魔なのですが、妹はリベンジをかけて必死です。
また「わたしもやるの」が出ます。
母も、苦笑しながら
「やらせてあげなさい」
と、わたしを制します。
このへんから、わたしの旗色が悪くなります。
お風呂上り。
ここで、勝敗が分かれます。
父に冷えたビールを持ってきて、コップに注いであげるのですが、妹は栓抜きを使うことができません。
大得意でわたしはこの大役を果たします。
横目で妹を見ると、だいたい妹は泣こうとしています。
ここで父がわたしを褒めようものなら、妹は大泣きを始めます。
それはもう見事な泣きっぷりなのです。
妹に泣かれると父は妹を膝に上げてあやします。
「もう大きくなっているお姉ちゃん」のわたしは、同じ事を望めるはずがありません。
妹はじきに泣きつかれて眠ってしまい、父は妹を布団に寝かしつけます。
そう。
結局、一番最後に父から可愛がられるのは妹だったのです。
父はわたしを「えらいね」と褒めてくれましたが、正直、妹がうらやましかったことを覚えています。
あまりに幼くて恥ずかしいですが、いまだに思い出すと切ない気持ちになる「父の日」の思い出です。
「父の日」なのに 怒られた思い出
わたしが一番良く覚えている「父の日」は、中学生の一年の時の「父の日」です。
あの「父の日」は、本当に強烈でした。
なにしろ、いつもわたしを甘すぎるほど可愛がってくれている父が、はじめてわたしに手を上げた日なのですから。
はじめて、というか、あれが最初で最後の父からの体罰でした。
社会人になり、色々なことを経験しましたが、あの父からのびんた以上に強烈だったことは、そんなにありません。
わたしは一人娘でした。
上には兄が二人いましたが、大変年が離れておりました。
両親にとって、わたしは可愛い末っ子で、甘やかしの対象でした。
兄たちも、わたしが赤ちゃんの時は、おしめを代えてくれるなどしたそうです。
物心ついて以来、家族の者で、面と向かってわたしを叱り付ける人は誰もいませんでした。
本当に、わたしは甘やかされていたと思います。
スポイルされていたと言う人もいるかもしれません。
欲しいと言ったものは何でも買ってもらいましたし、いつでも可愛い服を着せてもらっていました。
成長するに従って、母だけが微妙に厳しくなってきました。
お手伝いをするよう、やんわり言ってくるようになりましたが、わたしはだいたい無視していました。
一番わたしを溺愛していたのは、父でした。
ぎゅっと抱きしめてくれた時の、ひげのちくちくを未だに覚えています。
甘やかされっ子だったせいか、小学校の時からわたしは悪い子でした。
先生など大人の前ではいい子ですが、子供だけになると、とたんにボス化します。
色々な悪さをしたので、保護者の中には、うちに怒鳴り込んでくる親もいました。
それでも、うちの両親は、どこまでもわたしをかばってくれていたようです。
そんな状態だったのですが、中学一年の「父の日」、わたしは万引きをして補導されてしまいました。
保護者を呼ぶ、とおまわりさんが言うのですが、たかをくくっていたわたしはへっちゃらでした。
やってないもん、わたしは悪くないもん、と言いさえすれば、両親はわたしを庇ってくれる。
悪いのはわたしを補導したおまわりさんであり、わたしを捕まえたお店の人なのだと本気で思っていました。
交番に、わたしを迎えにきたのは母でした。
母は青い顔をして、必死になって頭を下げていました。
平然と突っ立っているわたしの頭を下げさせようとしたのですが、わたしはその手を振り払いました。
母はため息をついてわたしの顔を眺めました。
そのままわたしたちは家に帰りました。
家に帰ると、テーブルの上には「父の日」のためのご馳走が用意されていました。
やがて父が帰宅しました。
わたしが補導された件は、父の元にも連絡がいっていたのでしょう、父の顔色は蒼白でした。
父は帰ってくるなり、わたしの顔を探るように見ました。
それから、ものすごい音を立てて、わたしの顔をひっぱたきました。
わたしは吹っ飛ばされて、床に倒れました。
「ちょっとお父さん」
と言って、かばったのは母でした。
「今日はご飯を食べなくて良い」
と、父はわたしに言いました。
そのまま父は部屋の中に入ってしまいました。
母の方がおろおろとして、倒れているわたしを助けおこし、
「パパに言っておくから、大丈夫よ」
と言いましたが、それを聞きつけた父が、怒鳴りました。
「ダメだ。今日はご飯を食べさせない。そのかわり、俺も食わん」
えっ、とわたしは顔をあげました。
あの豪華な「父の日」のご馳走を、父が食べないと言っているのです。
わたしは急に悲しくなり、わあわあなきながら部屋に閉じこもりました。
その時になって、やっと初めて自分がしたことの重大さに気付いたのでした。
父がわたしに対し、厳しくあたったのは、あの一件だけです。
今わたしは成人し、婚約者もいる大人ですが、いまだに父は大甘です。
父がわたしをぶったことがあるなんて、誰も信じないだろうほど、いまだに父は優しいです。
ですが、わたしの中で、最も記憶に残っている父は、あの「父の日」の怒っている姿なのです。
父の日の贈り物
大事なお父さんには何を送りますか?
いろいろなプレゼントの中から一つ選ぶのも大変ですね。
父の日ギフトを選ぶなら、以下のサイトがおすすめです。
素敵な父の日になるといいですね。いろいろなエピソード集なんかも満載で、参考になりますよ〜。
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